HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2013/03/11

ようこそハルサイ〜クラシック音楽入門~
シューベルト:歌曲で花開いたウィーンの作曲家

文・後藤菜穂子(音楽ライター)

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フランツ・シューベルト(1797-1828)

 音楽史上、ウィーンを拠点にして活動した作曲家は、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、マーラー、ブルックナーら数多くいますが、シューベルトのようにウィーンに生まれ、生涯ウィーンで過ごした作曲家は実はさほどいません。

 フランツ・シューベルトは5人兄妹の4番目で、父は学校の教師でした。シューベルト家は音楽好きの一家で、家庭にはつねに音楽があり、フランツ少年は父からヴァイオリン、兄のひとりからピアノの手ほどきを受けました。おそらく彼はよい歌声を持っていたのでしょう。11歳のときに、ウィーンの宮廷礼拝堂少年合唱隊、すなわち現在のウィーン少年合唱団に入団することができ、そこで音楽の基礎を学びました。すでに在学中から作曲に取り組み、サリエリから作曲のレッスンを受け、声変わりしてからは父親の経営する学校で教師をしながら作曲を続けました。

clm_Schubert.png  十代後半でシューベルトが作曲家として活動し始めた時代は、ベートーヴェンの円熟期と重なっていました。彼はベートーヴェンを崇拝し、最初は交響曲や弦楽四重奏曲などの大規模な形式に取り組みますが、なかなか自分のものにできず、多くの曲を未完のまま放棄しては次の作品に取りかかるのでした。その後も、数々の作品を未完のまま残し、有名な《未完成》交響曲(1822年)speaker.gif[試聴]もそうした作品の一つであったのです。

 このような試行錯誤の日々の中で、彼にとって突破口となったのがドイツ語の歌曲(リート)というジャンルでした。17歳から18歳にかけてリートの作曲に夢中に取り組み、150曲以上もの歌曲を次々と生み出しました。その中には、「糸を紡ぐグレートヒェン」speaker.gif[試聴]「野ばら」speaker.gif[試聴]「月に寄す」speaker.gif[試聴] や「魔王」speaker.gif[試聴] などの名作もあります。美しい旋律、陰影に富んだ感情表現、繊細なピアノ・パートが一体となったこれらのリートを通じて、シューベルトは一気に才能を開花させたのでした。これらの歌曲の多くは〈シューベルティアーデ〉と呼ばれた、気の合う仲間たちとの文学や音楽の集まりにおいて初演されました。

 しかしながら悲劇的なことに、シューベルトは非常に短命でした。25歳の頃に不治の病気(おそらく梅毒と考えられています)にかかり、彼の音楽は急速に内面に向かい、深化していきます。歌曲集《美しき水車屋の娘》(1823年)speaker.gif[試聴] や《冬の旅》(1827年)speaker.gif[試聴]、崇高なハ長調の弦楽五重奏曲(1828年)speaker.gif[試聴]、そして最後の3曲のピアノ・ソナタ(第19~21番、いずれも1828年)speaker.gif[試聴]においては、とても30歳前後とは思えない、深遠な世界が描かれています。そして尊敬するベートーヴェンの死の翌年に、友人たちに才能を惜しまれながらウィーンで息を引き取ったのでした。


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